2020-12-08 第203回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第1号
身動きもできないような環境で肥え太らされて屠殺場に送られていく牛とか豚とか、一度も土を踏むことのないまま狭いケージでひたすら卵を産んで短い一生を終えるような鶏を見て胸が苦しくないわけではありませんけれども、しかしながら、現状としては、そうした食肉、鶏卵の生産体制が私たちの日々の食生活を支えているというのも事実でございます。それをまずは事実として受け止めなければならないと。
身動きもできないような環境で肥え太らされて屠殺場に送られていく牛とか豚とか、一度も土を踏むことのないまま狭いケージでひたすら卵を産んで短い一生を終えるような鶏を見て胸が苦しくないわけではありませんけれども、しかしながら、現状としては、そうした食肉、鶏卵の生産体制が私たちの日々の食生活を支えているというのも事実でございます。それをまずは事実として受け止めなければならないと。
ところが、はっきりしないのは、例えばJAを中心にした成牛が、肉牛がいよいよ屠殺場へ行こうとする、沖縄から鹿児島辺り行くんですね。JAに加入しないで、個人で繁殖牛から肥育牛まで一貫生産している農家があるんですよ。
したがって、沖縄で屠殺するときに、特に防疫とかあるいは何とかやるときに、このHACCPが、ハラールもありませんから、例えば八重山からわざわざ鹿児島に牛を持っていって認定工場で、屠殺場で割ってもらって枝にして、そのまま外国に送るんだったら福岡港か福岡空港、この辺を経由していくわけです。
まず、一般のお肉、いわゆる牛、豚のお肉というのは、御存じのとおり、いわゆる屠殺場というところで処理をされてお肉に変わるわけですけれども、その屠殺場に持っていくためには生体で、つまり生きたまま運ばれるわけですね。例えば東京の芝浦の食肉センター、食肉処理センターでは北海道、遠くは北海道から生きたまま船で運ばれてきて、お肉に変わって都民のおなかに入っていくということをしております。
国民は目隠して屠殺場に追い込まれる牛馬と同様の取扱を受けているのである」」、このような声があった。「これを聞いて「満車の乗客は悉く同感の叫声を揚げた」」こういうような記述があって、これを聞いて、幣原喜重郎は深く心に期するところあってということになるわけでございます。 先日のNSC法の審議の際に、共産党の赤嶺先生から、これは大本営をつくるものではないですかというような質疑がございました。
死刑囚であれ、要するに家畜じゃないんですから、牛や馬を屠殺場に連れていって、はいってやるというんじゃないんですからね。
これまで、川南、都農町などを中心とした半径二十キロの搬出制限区域内の牛は、一体どこの屠殺場で処理をされていたんですか。そして、牛肉は、大臣が言われるように出回っていたんですか。事実確認をさせていただきたいと思います。
処分場、屠殺場に近づいてくると、牛は鳴くんです。自分が殺される、こういう気持ちは察せられるものなんだなというふうに思っております。そして最後に、牛の目から涙がやはり出てくるんです。その牛を見て、畜産農家はいたたまれない、こういう気持ちになっている。
やはり、人間というのは、死刑囚であっても、例えは適当かどうか分かりませんけれども、牛や豚の屠殺じゃないんですから、どこかへ引き出されて屠殺場に連れていかれるという、こういうこととやっぱり格段の差が幾ら死刑囚でもあってもいいんじゃないかということで、私はこれ是非検討していただきたいと、このように思います。
ぜひそういった意味で、食の安全というのを今後やっていかないかぬところでしょうが、もし仮に事件が起きたときは、その段階は、出したそこの屠殺場だか輸出したところというのは今は特定できるんでしょうから、そういったものに関して、そこは、ほかのところの三十四カ所はきちんとやっているのに一カ所だけそこができなかったら、それはそこのところはとめるとか、やり方はいろいろあるというような感じがいたしますので、こういったものは
○中川国務大臣 委員長がどういうお仕切りをされるかは委員長の御判断でございますが、患畜の疑いのある牛についてはすべてBSE検査をしろというのが山田委員の御質問の趣旨かと思いますが、アメリカでも患畜の疑いがあったときには食肉ルートとは全く別の屠殺場で処理をしてしまうわけでございます。
さて、質問に入る前に一点なんですが、二月二十四日に私が行った質問の中で、私自身の言葉で、芝浦にある牛の屠殺場というのがありまして、この屠殺場という言い方が今はちょっと非常に不適切な言い方だということで、改めておわびを申し上げますとともに、これは屠場ということで、そういったことを訂正いたしたいと思います。
最近、芝浦の牛の屠殺場、あれはBSEの関係で私も視察に行ったんですけれども、そこで感じましたのは、あそこは一日に三百五十頭ほど屠殺をするんですね。アメリカの大手は一日四千頭ぐらい、この施設で屠殺をするそうですが。牛を見ると、もうあっという間にどんどん殺されて、皮をはがれて、どんどんベルトコンベヤーみたいな形で並べられていく。
最後の屠殺の現場に行くときはスロープになっておりまして、へたっておる牛であれば屠殺場に入れない、こういう状況でありまして、見た目には、へたり牛の処分はできなかったな、こう思って私どもは帰ってきたのであります。 そこで大臣、私どもがいない間に、このへたり牛の話が出ておりまして、向こうでも新聞等で私どもも見せていただきました。
消費者の側からは、今度は徹底的に調べていただいて、徹底的にやっぱり物を言っていただいて、そしてすべての屠殺場もちゃんと調べていただくように強く管理部門にやっぱり働き掛けていただきたいと、こういうふうに声もたくさん寄せられています。 皆さん二度と同じことをやってはならぬ。今度やったら正に笑い物ですよ、これは。
これは実は、私もこの牛の問題については現地の調査も過去にしたことがありますし、屠殺場にも、デンバーの屠殺場にも行ったことがありますけれども、そういうものについてきっちりやられるかどうかについては極めて疑問でありますよ。
一つ私が心配しております部分というのは、科学的知見に裏づいて、このとおりこのことをやってくだされば全く問題がないという話なんですが、運用の場面において、実際に輸入をするということになると、アメリカにおいて、生産農家がありまして屠殺場があって検査官がいて、そこで危険部位を取り除いているかどうかとか、あとは年齢が幾つかということをちゃんと最終的に判断するということになると思いますが、この現場において、アメリカ
そして、対処ができるということがこれトレーサビリティーでありますし、そしてまた、いわゆる我々が食するためには危険部位、感染した牛が万が一流通しかねないというときにはしかし屠殺場で危険部位はすべて安全に除去されておるという、その三段階の、我々も委員会で議論をしてまいりましたから、全頭検査をしなければいけない、する、しようというこの精神は、その三つの観点において全頭検査というものをして、そしてまずは感染
ところが、それについて、この資料二—五を見ていただきたいんですが、ニューヨーク・タイムズの五月八日、「また起きた狂牛病をめぐる不祥事」、この中に、農務省は、テキサスの畜殺場、屠殺場で倒れた雌牛の検査を拒否したことが明らかになったと。というのは、狂牛病の兆候が、可能性が十分あって、検査官が検査のために脳のサンプルをとろうとしたら、同省の地域事務所がそれを阻止してそれができなかった。
最初、そういうふうにみんな、何かRCC送りになるともうまるで駄目になっちゃう、屠殺場に送られるような気分になって。といいますのは、京都の場合、正常債権がかなりRCCに無理やりに送られたというそういう事情もありまして、すごくみんなが怒ったということがあります。